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「背負いの松」縁の子孫が来熊

3月28日(土)、「背負いの松」縁のご子孫が来熊され、当ガイドの会の中尾会長はじめメンバーは田原坂や墓地などを案内させていただきました。田原坂を訪れたのは山形県鶴岡市の鱸(すずき)成久さんと伴 和香子さん。

 

七本官軍墓地には、西南戦争で兄弟が政府軍と薩軍に分かれた戦って亡くなったことを悼んで明治27年、その遺族が故郷の山形から背負ってきて植えたという「背負いの松」があります。お二人は西南戦争で亡くなった兄弟の玄孫に当ります。

 

兄の鱸(すずき)成信は庄内藩出身(山形)で政府軍の陸軍少尉として出征し、弟の伴兼之は当時、西郷隆盛を慕って私学校に留学中だったので薩軍として西南戦争に参戦する悲劇となりました。兄弟相分かれて戦い、相前後して共に植木で戦死しています(明治10年3月20日、同4月6日)。

 

今回の訪問は、鶴岡市と30年来の交流を続けている玉名市の医師で歴史研究家の吉富章子さん(西南の役田原坂サミット(1990年)では脚本演出監督等)が歴史研究と交流を深めようと招いて実現したもの。兄弟が被弾した場所を訪れ、慰霊を続ける地元に謝意を表したいとの意向を受けて、ガイドの会は案内役を務めました。

 

【参加者】西南戦争田原坂顕彰会(藤井会長、谷口事務長)、田原坂観光ガイドの会(中尾、内古閑、藤本、小宮、坂本、池辺、日高、上田、齋藤・田中、島田)

【準備】3月25日、田原坂観光ガイドの会にて七本薩軍、官軍墓地清掃

【行程】①兄弟の名前が刻まれた田原坂公園内の慰霊碑を中尾会長が説明。➁車に分乗し豊岡眼鏡橋、1~3の坂、熊野座神社を案内し、七本薩軍墓地、官軍墓地で献花・スピーチの後、被弾されたと思われる石塔台場(櫻井小近くのファミリーマートで駐車)で説明。

◎生憎の雨で足元が悪かったが事前の清掃や準備、連絡、案内など全員で誠意をもっておもてなしに努めた。