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河原立薩軍墓地を清掃

令和2年6月23日、植木町の菱形小学校裏の高台にある「河原立(こうらだち)薩軍墓地」の清掃を行いました。ここには薩軍兵士19名が眠っていますが、鹿児島の西太良(現大口市)出身の永峯八郎兵衛(21歳没)以外は名前が分かっていません。目下、不明の薩軍兵士の調査を行っていますが、どなたか情報をお持ちの方は田原坂観光ガイドの会までお知らせください。(事務局 小宮 電話090-3016-9575

 

平成4年に菱形小学校の児童が墓地の整備を訴えたことがきっかけで、植木町や鹿児島県大口市を巻き込んで立派な慰霊碑が建立されましたが段々忘れ去られようとしています。梅雨になり雑草が深くなりましたので清掃作業を行いました。

 

河原立薩軍墓地の場所はこちら(Google Map)


河原立薩軍墓地整備の経緯

整備前の墓地

明治10年に19名の薩軍兵士が埋葬された植木町円台寺字河原立(こうらだち)にある薩軍墓地。これは平成4年に整備が行われる前の墓地の様子。墓碑は一つで「鹿児島県士族 永峯八郎兵衛」と記されているだけでしたが、実際は周辺の戦闘で戦死した薩軍兵士19名が埋葬されていました。

埋葬の経緯が分かる書類

明治10年5月、畑地などに放置された薩軍戦死者を地元で埋葬したことが分かる資料。明治10年6月12日付け、富岡熊本県権令への「薩徒死屍の埋葬費支給願い」の書類によって、田原坂公園の近くにある七本薩軍墓地と河原立薩軍墓地の埋葬の経緯を知ることができます。

平成4年に行われた「河原立薩軍墓地落成式」の様子(熊日記事)

菱形小児童らが戦争の悲惨さを訴える創作劇の中で、崩壊寸前となっていた墓地整備のための募金協力を呼び掛けたのがきっかけとなって、植木町内や熊本市、鹿児島から大きな反響があり、寄付や町の協力で墓地の整備が行われ、「薩軍戦没者慰霊碑」が建立されたことを伝えています。落成式で児童らが慰霊碑の前で献花する様子が写っています。