令和6年度「公民館主催講座」も5回目を迎え、今回の講座は「植木学校ものがたり」で、講師はガイドの会の池辺洋行氏です。受講生は26名です。
講座の内容について紹介します。
植木学校の正式名称は「変則熊本県第五番中学校」といいます。明治8年4月26日、今から150年も前の創立です。フランスの学制を参考に取り組み、宮崎八郎らが、広田尚や有馬源内、平川惟一ら同志と学校設立に取り組み、明治8年1月に「学校設立の願書」を熊本県庁に提出、設立の許可が少し遅れていたが4月26日に開設されました。
民衆は、この学校を歓迎したでしょうか。明治になり社会の仕組みが変化していく中、必ずしも賛成ではなかったこと、新しい取り組みのせいもあり、生みの苦しみでしょうか。今から考えると、すんなりと受け入れられなかった事でしょう。そんな中で、植木学校は出来ました。
なぜ植木に学校が出来たのでしょうか。①宮崎八郎が月田塾で一緒だった、リーダー格の広田尚の出身地が植木であったこと②広田を始め学校設立に相当な資金を提供した豪商の堀善三郎や小野村出身の麻生直温が植木にいて、自由民権勢力が根付いていたこと③植木が、広田が塾を開いていた長洲や山鹿方面のグループや熊本方面の要衝であった。このようなことが植木に設立された理由です。
次に植木学校の授業内容については、ルソーの「民約論」モンテスキュウの法の精神、三権分立、「万国公法」「日本外史」など欧米の文明や学問などがありました。植木学校は、試験も点数もなく、夕刻になると剣術やいざ戦争になるときに用いる死体や負傷者の運搬の稽古も行われます。植木学校の生徒は、学校を根城に、各地に出かけ、演説会を開き啓蒙活動を行い、民会開設要求をしたり戸長征伐に参加したりしました。
県は、植木学校は異志あるものと疑い県費の補助が打ち切られ、開設からわずか半年で閉校に追い込まれています。
同校の関係者は、明治10年の西南戦争では熊本協同隊を組織して薩軍に参加し、後には自由民権思想の普及に尽力しました。
この植木学校跡の記念碑は現在の植木小学校の正門から入るとすぐ左にドンと構えて、小学生に向かってよく勉強し、より良き社会人になれ、頑張れよと励ましているようです。
アンケートの回答より
○ 今まで知らなかったことが、今日の講座でよく理解でき良かった。
○ 当時のことを、詳しく解説され、植木学校の様子、流れがわかるように話していただき、理解しやすかった。
○ この講座ならではの、詳しい歴史を知ることが出来た。